きっかけは、ある職員からのお誘いでした。
「弟が作業所を立ち上げたので、見学にきませんか?」
ぜひ行きたい!
どうせ行くなら、退院した患者さんたちが地域で生活するときに、どんな場でどんなサポートを受けているのか、どんな人がどんな思いで仕事をしているのか、記事にしてみたい!
ということで、行ってきました~。
訪れたのは須恵にある就労継続支援B型(※)「e-lifeシエロ」。作業療法士の椛島敬行さん、ソーシャルワーカーの田中隆奨さんが共同で代表を務め、今年2月にオープンしたばかりです。
この日は3名の方が作業中。許可をいただき、お邪魔にならないように写真を撮らせてもらいました。箱づくりの作業で、軍手が箱の色に染まるほど熱心に取り組んでおられます。
休憩中にお話を伺うと「代表の椛島さんとは、(病院勤務時代から)15年の付き合いになりますね。ほとんど毎日きています」と笑顔。まだ通い始めて2週間の方は「前からきているかのように慣れました(笑)」。
スタッフさんはとてもやさしい雰囲気で、まったり腰を落ち着けたくなるような居心地の良さでした。
※就労継続支援B型…障害や難病などがあり、雇用契約に基づいて働くことが難しい方に、軽作業などをとおして生産活動に携わる機会を提供したり、働くうえで必要な知識や能力を身に着ける訓練や支援を行う福祉サービスです。年齢制限や利用期間の制限はなく、自分のペースで働けます。また、訓練をとおして能力の向上をはかることで、就労をめざすこともできます。
地域にもっと専門職を
シエロ代表の椛島敬行さんにお話を伺いました。
椛島さんがシエロを立ち上げたきっかけは、15年働いた病院で患者さんと関わっていくうちに芽生えた“その人が病院を出た後の、その先の人生にもっと深く関わっていきたい”という思いでした。
長い人生のうちで、医療施設を主たる生活の場にするのは、ほんのいっとき。
「地域で暮らす人が増えているいま、その地域で支える専門職の手が足りない。そう感じました。専門的に患者さんとかかわり『障害特性をきちんとわかっている』人間が、もっと地域に増えていかなければ」
同じく病院でソーシャルワーカーをしていた田中さんと、共同代表としてタッグを組み、動き出したシエロの活動。でも、職種の専門性には自負があっても
「経営に関してはド素人だったので…利用者にどんな支援をすればいいかはわかっても、提供する“仕事”を集めることに、最初のうちはとても苦労しましたね」
利用者に支払う工賃を確保するために、最初は妻のママ友の伝手から始めたというお仕事探し。最近では、先輩作業所に仕事の提供先を紹介してもらえ、少しずつ利用者さんに提供できる仕事が増えたり単価があがってきたりと、充実してきたそうです。
その人に寄り添い、背中を押せる場所でありたい
強みは、椛島さん自身が作業療法士であることで「一人ひとりの特性にあわせた働きかけができること」といいます。
実際、シエロの利用者さんが抱えている障害は身体障害、知的障害、精神障害など幅広く、また一人ひとりの声にあわせて、余暇やリハビリの活動に重きをおいたり、就職訓練の一環としてパソコンを使用したりと、その人にあわせた活動を行っています。
椛島さんが、いちスタッフとして嬉しい瞬間は「ここにきてよかった」「楽しかった」「人から、ここほどいい支援をしてくれるところはないよと言ってもらえたよ」など、利用者の方の声を聞いたとき。
私も利用者さんにお話を伺って、作業風景をみて、歩き出したばかりの施設とは思えない、落ち着いた穏やかな時間が流れているなと感じました。
これだけはブレずにいたいと語るのは『利用者の方の抱え込みはしない』こと。ずっとここに通いたいという人もいれば、いつかは外に出たいと思う人もいる。
「利用者の方の目標が就労だったら、いずれその人のやりたいこと、行きたい場所にチャレンジしていけるようにサポートしていきたいです」
ここまでと線引きせずに、その先の人生に寄り添って、背中をそっと押してくれるサポーターが地域にいてくれる。患者さんにとってもご家族にとっても、われわれ医療の現場にいる者からも、心強いです。
看護師である椛島さんのお母さんは、スタッフとしてシエロを支えています。お母さんの趣味は手芸だそうで、パッチワークや雑貨制作など、その腕前は趣味の域を超えています。こうした技術をもちいて、手芸に興味のある利用者さんにミシンの使い方を教えたり、余暇や趣味の延長としての活動にも力を入れて、女性の利用者さんからも興味をもってもらえているのだとか。
【コロナ禍終われば⑩】左はシエロの椛島さん(オトウト)、右は今回取材のきっかけを作ってくれた当院の看護師椛島さん(アニ)。二人とも、コロナが収束すればやりたいことは「旅行」。
※コロナ禍終われば:Facebookの企画で、コロナに打ち勝った暁にやりたいことを語ってもらうコーナーです。
母は看護師、父は病院事務長という医療畑で育った椛島さん兄弟。
お互い、10代の頃は医療職につくつもりは全くなかったそう。「それどころか、若い頃は社会的に不適応をおこしかけた時期がありました。だからこそ、同じような境遇を経験した方の気持ちに寄り添える部分もあるので、あの時期は自分にとって必要だったと、いまは思います」
回り道してたどり着いた医療の道で、兄は看護師に、弟は作業療法士に。両親が真摯に医療に向き合う姿勢は、少なからず影響を与えていたのかもしれませんね。
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今回、病院を飛び出し取材をして再認識したのは、退院したら「ハッピーエンド」ではなく、患者さんの人生はその後も「つづく」のだということ。当たり前ですが、それからのほうが本番なんですよね。
当院も通院や訪問看護などでフォローをしつつ、他の施設や病院、行政など、あらゆる患者さんをとりまくサポーターとつながりながら、つづく人生を応援していきたいです。
回生ほっとなう&Facebookでは、こうしたつながりの輪にいる仲間たちのことを、少しずつ紹介していきます。ご協力いただける関係機関の方々、よろしくお願いいたします。